〜モントレー南房総シンポジウム裏話〜2

カリフォルニア文化の発祥地、モントレーは、古くからの港町だ。この日は、実行委員の面々と共に、モントレー市長を訪ねる。市庁舎は、モントレー海洋博物館から程近い、時代を感じさせる美しい建物だ。シンポジウム会場となるゴールデン・ステート・シアターもすぐ近くで、皆で位置関係を確認する。これなら、会場をシアターや博物館に移動しても、苦にはならず、むしろ町歩きの楽しさも増すだろう。
サンディさんによれば、市長のダン・アルバートは、長年公立高校の教師でフットボールのコーチ、つまり誰もが知る町の名士だという。ダンは、日本語の名刺を取り出して私を驚かせると、笑顔で挨拶した。70歳前後か。若々しく、教育者としての威厳と優しさがある。モントレーと南房総の100年前のアワビがむすぶ交流や万祝については初耳だが、良いことだから協力しようと快く申し出てくれた。モントレー市としては、石川県七尾市と姉妹都市の契約を結んでいる。が、100年の歴史に裏付けられた有機的な結びつきなのだ、ということが理解されて、実行委員一同は喜んだ。サンディさんは、ダンは古い友人だけど、市長になってもやはり教育者だと、つぶやいた。
 ところで、私たち実行委員の抱える問題のひとつは、質を上げて、いかに費用を抑えるか、だった。皆、仕事の合間を縫って集まっては、知恵を出し合う。目的が交流シンポジウムなので、心温まる、特別な企画でもてなしたいではないか、と口々に言う。
 万一、海女さんたちに来ていただけなかったら、と熱い議論が続く。一日前倒しなら、学校に映像を流せるぞ、とサンディさん。しかし、集客を考えると、土曜が妥当だ、とリック。州の公園課は、レンジャーと水中カメラを派遣してくれるので、最大限生かしたい。皆が、昨年訪れた海女小屋での楽しい思い出を胸に、なんとか心の触れ合うイベントを作りたいと考えていた。
 そんなことを、遅いランチをとりながら皆で話していると、ウエイターが言った。「先生、僕、先生から歴史を習いました」。彼は、我々が困っているのを見かねて、思わず声をかけてきたのだ。サンディさんは、いつものように、そのウエイターにも気を配り、優しい言葉をかけていた。それが元教え子だと知って、驚いた。「もし、ホテルでお困りでしたら、営業の責任者に話してきます」。その高級ホテルは、実行委員の一人トニーが常連だったこともあり、話はすべるように進んだ。帰りがけ、サンディさんは、誰もいなくなったテーブルにひとり残った。昨年作った冊子『太平洋にかかる橋−アワビのむすぶ日米交流』にサインし、ウエイターになったその教え子の名前を書いていた。「彼に渡そう。ヨシエもサインして。」
 「教育っていうのは、時間がかかるものだ。教えているときには、その見返りはこないと思っていい。それが、何十年もして、思いがけなくやってくる」帰りの車を運転しながら、そうサンディさんは、言った。サンディさんには、いろんな面があるが、教育者としてのサンディさんには、長い経験に裏付けられた信念があると感じた。見返りを期待しないで、与え続けること。人として尊重し、楽しんで取り組んでもらうようにすること。サンディさんが、これまで大切にしてきたことだ、と襟を正したくなるような思いがした。