2006年モントレーツアーで、海女さんに同行した山口恵子さんの寄稿です。抱腹絶倒の珍道中、お楽しみください!数回にわけて掲載して行きます。
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海女さんカリフォルニアに行く
これは、2006年にカリフォルニアで開催された
コンバージェンス2006に参加し、デモンストレーションダイビングを行うために
太平洋を渡った白浜の海女さんたちの
房州弁の通訳として付き添った山口恵子が
2人の5日間の素顔を綴ったドキュメンタリーです。
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〜1〜 南房総編
2006年2月14日、白浜の姉妹海女、吉田恵美子さんと、宮本玲子さんのところに
一人の来客が、2人の通訳を伴って訪れました。
アメリカのカブリオ大学教授で、歴史学者のサンディ・ライドン氏でした。
彼には夢がありました。
1年前に海女小屋で出会った南房総の海女さんたち。
モントレーで4月に行われる国際シンポジウム「アワビコネクション」のときに
100年前のカリフォルニアで行われていた伝統的な素潜り漁を
日本人の現役の海女で再現しようというのです。
白浜の宮本さん宅のお茶の間で
お茶を飲んで,しばらくしたあと、彼が口を開きました。
「お二人を、ぜひ、アメリカにご招待したい。
今年行われる、アワビの国際シンポジウムにゲストとして出席し、
モントレーの海で潜ってほしいのです」
「!?」
「だー恵子ちゃん、アメリカだーなんておっそろしい、おらぁおいねぇよ」
「あんが、おっだらでお役に立てるんだら、お世話になって連れていってもらう
べぇかよ」
「おらぁ飛行機あんかておいねぇよ」
「おっだらでいいんかよ」
「もちろん!!」
「でー、行こうかよ」
「ほんとかよ」
というわけで、2人の白浜の海女さんは、なんと太平洋を渡って
カリフォルニアの海で潜ることになってしまいました。
働き者の海女さんたちは、ほとんど白浜を出たことがなく
宮本さんは海外旅行も初めてです。
一体どうなるのでしょうか?
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〜2〜 サンフランシスコ編
当日・・・。
「恵子ちゃん、お世話になるよー」
「あんただけが頼りだよ、よろしく頼むよ」
とかなんとか言いながら、バスでも飛行機でも、まったくのマイペース。
アメリカ人のスチュワーデスさんにも房州弁で押し通す海女さんたち。
「荷物がずねぇ(大きい)からよ、こうさ入れてくらっしぇよ」
“OK”
「おー、サンキューサンキュー、おらぁ英語はこれしかわかんねぇよ、はっはっ
は」
飛行機の中で響き渡る房州弁に、私は他人のフリ・・・。
さて初日は、サンフランシスコの観光です。
まずはフィッシャーマンズ・ワーフにてランチを取ることになりました。
サワードーという、ちょっと酸っぱい大きなパンに入った
クラムチャウダーが有名です。
バスがフィッシャーマンズワーフに近づき
有名な、大きなカニの看板が見えてくると・・・
「恵子ちゃん〜、こらーおら方でいう、がにんまだぁなー」
・・・がにんま!?そんな言葉、久々に聞いたよ〜!
ちなみに「いそっぴ」よりももっと大きいカニを、白浜の方ではがにんまといい
ます。
その後、「フィッシャーマンズワーフのブッシュマン」に出会いました。
この人は、自分で藪のように木を手に持って隠れており
観光客がやって来ると、わっと脅かす名物男です。
ブッシュマンが海女さんを「わっ」とおどかすと
「うおぉぉ、たまげたぁーー!!!」
そこらじゅうに響き渡る声のでかさに、さらにみんなびっくり。
その日はゴールデンゲート・ブリッジなど有名どころをおさえて
それぞれのホームステイ先へ。
私も海女さんたちと同じ家にステイします。
海女さんたちとホームステイ先との間での話を通訳するためです。
私達は、ジャニスの家にお世話になることになり、
家まで送ってもらうため、ジャニスの車に乗り込みました。
しかし海女さんたちは、すでに車の中から
通訳してもしかたがないような(?)ことを連発。
「だ〜、畑がよ!ただごとひれぇなぁ」
「あそ〜らは、道がずっくんでらぁでよ」
そのたびに「彼女たちは何といってるのか?」と聞かれ
説明すると
「アーティーチョークという野菜を作っているのよ。
ここは全米の何十パーセントものアーティーチョークを作っているの」
「最近の異常気象で3月はずっと雨だったの。
道が悪いのはそのためよ」
などと丁寧な応答が返ってきて、こちらが恐縮。
さて、次の日海女さんたちはいよいよカリフォルニアの海で潜ります。
どうなることやら・・・
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↑サンフランシスコの「がにんま」
↑サワードウのクラムチャウダーをいただく