モントレー日米シンポジウムレポート その①

房州の海女漁とアワビダイバー子孫交流会、小谷家ゆかりの地ポイントロボスで 4月28日

200名が見た、房州海女漁の実演
シンポジウム当日の4月29日、房総の海女たちの報道写真がモントレー地元紙の一面トップを飾った。「過去からの爆風:歴史マニア、最盛期のアワビ漁を再現」の大見出しがサンタクルーズ・センティネル紙、「日本の潜り姫たち」の大見出しが、モントレー・カウンティ・ヘラルド紙に踊る。
白浜から現地入りした海女業に従事する姉妹、吉田恵美子さん(72)、宮本玲子さん(67)が、浮き樽(タル)と採集網(タマリ)、道具(カツカネ)を手に、109年前に南房総の男あまがアワビ漁をしたポイントロボスの海に潜った。その快挙を伝える報道だ。
素潜り漁の実演は、4月28日午前11時に行われた。現在、ポイントロボスは、州立保護区として一切の漁が禁止されているが、歴史学者サンディ・ライドン教授らの働きかけでカリフォルニア州公園課の特別な配慮が得られた。空は、モントレー特有の霧で覆われ、入江を取り巻く断崖には、巨大なサイプレス(糸杉)とモントレー・パイン(松)の木々が根を張り、自然の厳しさと美しさを伝える有名な景勝地だ。海流の影響か、やや肌寒い。
公園課から派遣された水中カメラマンほか男性2名と12歳の少女、人類学者ベサニー・グレナルドさんも、ダイビングスーツに身を包み、海女たちと共に冷たい海に潜った。グレナルドさんは、約10年前に二人の元で海女を対象とした博士号研究調査をした旧知の間柄。ライドン教授のはからいで、東海岸から特別に招かれ、10年ぶりの感動の再会となった。
海上にはボートに乗った救命隊員、浜には救急車が待機して、万が一の場合に備えるものものしさだ。
報道陣、公園課のレンジャーや博物館関係者、日本からの訪問団一行、現地アワビダイバー関係者子孫など、一般に非公開としたが、総勢およそ200名が見守るなかでの実演が始まった。水温摂氏約12度の海に身を沈めるや、「おー、はっけー(冷たい)」と、生きのいい房州弁があたりに響きわたった。109年前もこんな第一声が発せられたであろう。
暖かな黒潮の漁場と異なり、カリフォルニア海流は寒流。野生のアザラシやラッコが生息する。潜水ポイントは、小さな入江だが海流が強いらしく、水面に渦が巻いている。
獲物は、レッド・アバロニの殻を使った教材用の模造アワビ。ここが自然保護区のためである。何度か試し潜りをした後、二人が、次々に水深約6メートルの海底に置かれたアワビをつかんで、見事に海上に姿を見せると、いっせいに喝采が沸き起こった。水中カメラが、その模様を追う。海女暦50年以上という二人の実演の様子は、貴重な資料映像として、カリフォルニア州に残されることになる。

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日米の子孫たちによる交流会
現在の南房総市白浜出身の小谷源之助は、1897年に渡米し、続いて弟小谷仲治郎も男あま3名を伴ってモントレーで潜水アワビ漁を始めた。あまりの水温の低さに素潜り漁を断念し、翌年潜水夫3名を派遣し、ヘルメット式潜水器を使った潜水アワビ漁に切り替えたことで成功。アメリカ人地主A.M.アレンとのパートナーシップにより、飛躍的にアワビ事業は発展を遂げた。約30余年にわたり隆盛を極めたが、戦争を機に、その歴史は途絶えていた。
そのゆかりの地で、往時をほうふつとさせる素潜り漁実演の後は、多くの子孫たちと共に、約90名もの関係者の集う昼餐会となった。
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昨年館山を訪れたモントレー地域の住民らが、ボランティアとして、会場設営や接待に立ち働き、テント、テーブルや椅子、花などを豪華な料理と共に運び込んでの屋外昼食会となった。一堂は、景勝地ポイントロボスの自然が織り成す豊かな景観を愛でながら、小谷ファミリーやそれを取り巻く人々をしのんだ。
訪問団には、小谷家やアワビダイバーの子孫のほか、アワビダイバーの歴史を調査している千倉町の鈴木政和さんもおり、南房総から持参した古い家族写真を示しながら、熱心に情報交換が行われた。鈴木さんは、約100年前のモントレー潜水アワビ漁万祝を、千倉町の栗原家からモントレー海洋博物館へ寄贈する仲人役でもある。
ライドン教授の司会により、小谷家やアレン家の子孫たち、アワビステーキを生み出したポップ・アーネストの子孫たち、現地の学者たち、日本に暮らすアワビダイバーの子孫たち、県立安房博物館の御園生光江館長、そして現地ボランティアスタッフらが紹介されると、一同から温かな拍手が沸き起こった。
アワビダイバーとそれを取り巻く人々との国籍を超えた信頼と友情、パートナーシップを、およそ100年のときを経て、今に蘇らせた感動のひと時であった。翌日は、いよいよシンポジウム当日である。(つづく)