モントレー日米シンポジウム その②

アワビシンポジウム モントレー海洋博物館にて開催 4月29日

翌日4月29日には、南房総地域とモントレー湾地域とをむすぶ109年にわたる歴史的な結びつきを祝おうと、さまざまな催しが行われました。モントレー海洋博物館の劇場では、日米両国からの研究者などによる研究発表が行われ、また、館前の広場ではアワビ・フェスティバルと銘打ち、「アワビレース」や、アワビの貝殻で作る工芸品展示会、アワビの詩コンテスト、アワビの貝殻コンテストなどが繰り広げられ、多くの人の目を楽しませました。あいにく曇天の肌寒い陽気だったので、これでお天気がよかったらさぞかし大にぎわいだっただろうと思います。でもこんなお天気がモントレーでは普通という事ですからしかたありません。
そして夜7時からは、会場を市内最大のゴールデンステートシアターに移して、フィナーレを飾るイベントが行われました。

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あわびレースの応援に熱が入る観客

のべ800名が訪れた博物館でのシンポジウム  
唯一の日系二世アワビダイバーであるロイ・ハットリ氏(87)が、戦前の潜水漁について貴重な体験談を披露したのを皮切りに、モントレーの先住民族の血をひく歴史学者リンダ・ヤマネ氏による「アワビとインディアンとの関わり」、事業家トム・エバート氏による「養殖アワビの科学」、ライドン教授による「中国人・日本人漁師とモントレーのアワビ漁」、トーマス氏による「アワビの食文化を定着させたポップ・アーネストと日本人漁師達との関わり」について、次々と発表が行われました。
なかでも、館山市の太田義夫さんによる小谷源之助の調査発表では、千倉町長性寺で行われたアレンの妻と、アレンの追悼法要の写真が紹介されました。

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源之助の事業パートナーであったアレンが、いかに大切な存在であったかがしのばれる、貴重なエピソードでした。

続いて、伝統の海女装束に身を包んだ吉田恵美子さんと宮本玲子さんが、人類学者ベサニー・グレナルド氏と共に登場し、ライドン教授の進行で、ポイントロボスでの素潜り漁実演の感想や、房州の海女漁について紹介をしました。
朝刊にトップニュースとして二人の写真が掲載されたこともあり、会場は立ち見客も出るほど。二人のユーモアあふれる率直なコメントや、身振り手振りに、聴衆は大いに沸き、通訳さえいらないことも。閉会後も、尊敬のまなざしで話しかけてくる人、サインを求める人が相次ぎ、房州の「アマダイバー」は一躍有名となりました!アワビ漁の話題には、言葉や国籍の違いなどなかったようです。
この日、モントレー海洋博物館の入場者は、800名を記録し、講演は常時150名が席を埋め尽くす盛況振り。モントレー国際大学院の協力により、我々訪問団のために同時通訳も用意されました。

モントレーの博物館に常設展が新設
今回のシンポジウムをきっかけに、モントレー海洋博物館に日本人と現地アメリカ人の協力によるあわび漁業に関する資料が常設展示されることになり、この日から公開されました。中央に飾られるのは、今回のイベントのシンボル、千倉町千田の栗原家から寄贈された万祝。足下には同家に残る当時のあわびダイバー、栗原石松氏の肖像写真。背後の壁には小谷源之助とアレンが共同経営していた缶詰工場のラベルが大きく描かれています。天井からは、白浜町の海女宮本玲子さん、千倉町の鈴木政和さんらの呼びかけで寄せられた素潜り漁の衣装を着たマネキンが、道具とともに展示されています。さらには、南房総の風景を紹介するため、訪問団の一員、鋸南町の溝口七生画伯の油絵も7点展示されました。国や文化の多様性を尊重する精神に基づき、日米融合の展示内容が生まれました。今後南房総一帯とモントレー湾地域のアワビが結ぶ交流を来館者に伝えていくことでしょう。(つづく) 

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モントレー日米シンポジウムレポート その①

房州の海女漁とアワビダイバー子孫交流会、小谷家ゆかりの地ポイントロボスで 4月28日

200名が見た、房州海女漁の実演
シンポジウム当日の4月29日、房総の海女たちの報道写真がモントレー地元紙の一面トップを飾った。「過去からの爆風:歴史マニア、最盛期のアワビ漁を再現」の大見出しがサンタクルーズ・センティネル紙、「日本の潜り姫たち」の大見出しが、モントレー・カウンティ・ヘラルド紙に踊る。
白浜から現地入りした海女業に従事する姉妹、吉田恵美子さん(72)、宮本玲子さん(67)が、浮き樽(タル)と採集網(タマリ)、道具(カツカネ)を手に、109年前に南房総の男あまがアワビ漁をしたポイントロボスの海に潜った。その快挙を伝える報道だ。
素潜り漁の実演は、4月28日午前11時に行われた。現在、ポイントロボスは、州立保護区として一切の漁が禁止されているが、歴史学者サンディ・ライドン教授らの働きかけでカリフォルニア州公園課の特別な配慮が得られた。空は、モントレー特有の霧で覆われ、入江を取り巻く断崖には、巨大なサイプレス(糸杉)とモントレー・パイン(松)の木々が根を張り、自然の厳しさと美しさを伝える有名な景勝地だ。海流の影響か、やや肌寒い。
公園課から派遣された水中カメラマンほか男性2名と12歳の少女、人類学者ベサニー・グレナルドさんも、ダイビングスーツに身を包み、海女たちと共に冷たい海に潜った。グレナルドさんは、約10年前に二人の元で海女を対象とした博士号研究調査をした旧知の間柄。ライドン教授のはからいで、東海岸から特別に招かれ、10年ぶりの感動の再会となった。
海上にはボートに乗った救命隊員、浜には救急車が待機して、万が一の場合に備えるものものしさだ。
報道陣、公園課のレンジャーや博物館関係者、日本からの訪問団一行、現地アワビダイバー関係者子孫など、一般に非公開としたが、総勢およそ200名が見守るなかでの実演が始まった。水温摂氏約12度の海に身を沈めるや、「おー、はっけー(冷たい)」と、生きのいい房州弁があたりに響きわたった。109年前もこんな第一声が発せられたであろう。
暖かな黒潮の漁場と異なり、カリフォルニア海流は寒流。野生のアザラシやラッコが生息する。潜水ポイントは、小さな入江だが海流が強いらしく、水面に渦が巻いている。
獲物は、レッド・アバロニの殻を使った教材用の模造アワビ。ここが自然保護区のためである。何度か試し潜りをした後、二人が、次々に水深約6メートルの海底に置かれたアワビをつかんで、見事に海上に姿を見せると、いっせいに喝采が沸き起こった。水中カメラが、その模様を追う。海女暦50年以上という二人の実演の様子は、貴重な資料映像として、カリフォルニア州に残されることになる。

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日米の子孫たちによる交流会
現在の南房総市白浜出身の小谷源之助は、1897年に渡米し、続いて弟小谷仲治郎も男あま3名を伴ってモントレーで潜水アワビ漁を始めた。あまりの水温の低さに素潜り漁を断念し、翌年潜水夫3名を派遣し、ヘルメット式潜水器を使った潜水アワビ漁に切り替えたことで成功。アメリカ人地主A.M.アレンとのパートナーシップにより、飛躍的にアワビ事業は発展を遂げた。約30余年にわたり隆盛を極めたが、戦争を機に、その歴史は途絶えていた。
そのゆかりの地で、往時をほうふつとさせる素潜り漁実演の後は、多くの子孫たちと共に、約90名もの関係者の集う昼餐会となった。
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昨年館山を訪れたモントレー地域の住民らが、ボランティアとして、会場設営や接待に立ち働き、テント、テーブルや椅子、花などを豪華な料理と共に運び込んでの屋外昼食会となった。一堂は、景勝地ポイントロボスの自然が織り成す豊かな景観を愛でながら、小谷ファミリーやそれを取り巻く人々をしのんだ。
訪問団には、小谷家やアワビダイバーの子孫のほか、アワビダイバーの歴史を調査している千倉町の鈴木政和さんもおり、南房総から持参した古い家族写真を示しながら、熱心に情報交換が行われた。鈴木さんは、約100年前のモントレー潜水アワビ漁万祝を、千倉町の栗原家からモントレー海洋博物館へ寄贈する仲人役でもある。
ライドン教授の司会により、小谷家やアレン家の子孫たち、アワビステーキを生み出したポップ・アーネストの子孫たち、現地の学者たち、日本に暮らすアワビダイバーの子孫たち、県立安房博物館の御園生光江館長、そして現地ボランティアスタッフらが紹介されると、一同から温かな拍手が沸き起こった。
アワビダイバーとそれを取り巻く人々との国籍を超えた信頼と友情、パートナーシップを、およそ100年のときを経て、今に蘇らせた感動のひと時であった。翌日は、いよいよシンポジウム当日である。(つづく)

〜モントレー南房総シンポジウム裏話〜2

カリフォルニア文化の発祥地、モントレーは、古くからの港町だ。この日は、実行委員の面々と共に、モントレー市長を訪ねる。市庁舎は、モントレー海洋博物館から程近い、時代を感じさせる美しい建物だ。シンポジウム会場となるゴールデン・ステート・シアターもすぐ近くで、皆で位置関係を確認する。これなら、会場をシアターや博物館に移動しても、苦にはならず、むしろ町歩きの楽しさも増すだろう。
サンディさんによれば、市長のダン・アルバートは、長年公立高校の教師でフットボールのコーチ、つまり誰もが知る町の名士だという。ダンは、日本語の名刺を取り出して私を驚かせると、笑顔で挨拶した。70歳前後か。若々しく、教育者としての威厳と優しさがある。モントレーと南房総の100年前のアワビがむすぶ交流や万祝については初耳だが、良いことだから協力しようと快く申し出てくれた。モントレー市としては、石川県七尾市と姉妹都市の契約を結んでいる。が、100年の歴史に裏付けられた有機的な結びつきなのだ、ということが理解されて、実行委員一同は喜んだ。サンディさんは、ダンは古い友人だけど、市長になってもやはり教育者だと、つぶやいた。
 ところで、私たち実行委員の抱える問題のひとつは、質を上げて、いかに費用を抑えるか、だった。皆、仕事の合間を縫って集まっては、知恵を出し合う。目的が交流シンポジウムなので、心温まる、特別な企画でもてなしたいではないか、と口々に言う。
 万一、海女さんたちに来ていただけなかったら、と熱い議論が続く。一日前倒しなら、学校に映像を流せるぞ、とサンディさん。しかし、集客を考えると、土曜が妥当だ、とリック。州の公園課は、レンジャーと水中カメラを派遣してくれるので、最大限生かしたい。皆が、昨年訪れた海女小屋での楽しい思い出を胸に、なんとか心の触れ合うイベントを作りたいと考えていた。
 そんなことを、遅いランチをとりながら皆で話していると、ウエイターが言った。「先生、僕、先生から歴史を習いました」。彼は、我々が困っているのを見かねて、思わず声をかけてきたのだ。サンディさんは、いつものように、そのウエイターにも気を配り、優しい言葉をかけていた。それが元教え子だと知って、驚いた。「もし、ホテルでお困りでしたら、営業の責任者に話してきます」。その高級ホテルは、実行委員の一人トニーが常連だったこともあり、話はすべるように進んだ。帰りがけ、サンディさんは、誰もいなくなったテーブルにひとり残った。昨年作った冊子『太平洋にかかる橋−アワビのむすぶ日米交流』にサインし、ウエイターになったその教え子の名前を書いていた。「彼に渡そう。ヨシエもサインして。」
 「教育っていうのは、時間がかかるものだ。教えているときには、その見返りはこないと思っていい。それが、何十年もして、思いがけなくやってくる」帰りの車を運転しながら、そうサンディさんは、言った。サンディさんには、いろんな面があるが、教育者としてのサンディさんには、長い経験に裏付けられた信念があると感じた。見返りを期待しないで、与え続けること。人として尊重し、楽しんで取り組んでもらうようにすること。サンディさんが、これまで大切にしてきたことだ、と襟を正したくなるような思いがした。

(6) I mean it!

「ほんとうにそうなんだよ!」

mean = 意味する。ですが、”What does this word mean?”「この語はどういう意味ですか?」なんていう受験英語っぽい使い方の他に、会話の中ではさまざまな状況で幅広く使われています。
“What do you mean?”「どういう意味さ?」”I didn’t mean it.”「そういうつもりじゃなかったんだ」”Do you know what I mean?”「私の言いたい事わかる?」そして”I mean it from the bottom of my heart”これは、スティービー・ワンダーの名曲「I Just Called to Say I Love You」の一説。題名の歌詞の後に続く一言です。「愛してるっていうために電話したんだ。心のそこから本当にそう思うよ」ここの歌詞のところは、歌うたびに胸がじんと来ます。いい歌だな〜。

(5) Drop me a line.

lineとは、文章の1行のこと。(電子メールで)1行書いて、連絡ちょうだい、という意味です。みなさんは電子メール、ご利用ですか?世の中便利になりましたね。私がアメリカに留学していた90年代初頭、「大学でアドレスをくれるから取得しなよ、eメールって便利だよ」、といわれながら、そのありがたさを知らないうちに卒業、帰国しました。それから10年以上、こんなに「なくてはならないもの」になるとは、、、。
今や英語の勉強もインターネットでできる時代。ネイティブの発音が聞けたり、文法の練習問題ができたりするレッスンサイトのみならず、辞書、事典、翻訳など、ちょっと検索すれば数えきれないほどのサイトを見つける事ができます。文明の利器、大いに利用してくださいね。