(7) I’m fed up with it!

「もうたくさん!」

Fedはfeed(エサを与える、食べさせる)の過去分詞。たくさん食べさせられてうんざり、という感じですね。ちょっと前まで、まだ梅雨にもならないのに雨ばかり、I was fed up with the wet weather.「じめじめした天気はうんざり」でした。辞書を引くのに慣れないと単語を一字一字引いてしまいがちですが、単語だけと、そのあとにつながる前置詞などで構成される熟語とでは、意味が違ってくることが多いですね。動詞のあとの前置詞は、もしかしたら熟語かも、と疑ってかかって辞書を引きましょう。見つけたら、「文の中ではどう使われるのかな」、例文のチェックも忘れずに。

モントレー2006 旅のハイライト(1)

4月27日から5月5日まで、南房総よりシンポジウム「コンバージェンス2006」に合わせ、総勢30名がカリフォルニアを訪れました。
書ききれないほどの感動の連続のツアーでしたが、その中でも特に印象に残ったところをピックアップし、ご報告したいと思います。
また、シンポジウムの報告は、別途すでに掲載してありすので、そちらをご覧ください。

ハイライト1):4/29 小谷家へご招待されてきました。
モントレー市内から車で南へ15分ほど、カーメルハイランドという高級住宅街の一角、海を見下ろす高台に、小谷源之助の孫、マリリンさんの自宅がありました。マリリンさんと妹のユージーニさんが中心となり、小谷家の人々が一同に会し、私たち30人以上の一行を手作りの日本食でもてなしてくれました。源之助の子どもにあたる国子さん、房子さん、マリリンのお母さんで源之助の息子のお嫁さんになるフミエさんも、車椅子でしたがわざわざ私たちの為に集まってくださいました。e0093807_11261072.jpge0093807_11342080.jpg

のり巻きやひじきの煮物、お煮染めののった紙皿をなにげなく置いたそのディナーテーブルが、源之助の時代、あわびダイバーたちが彼らの食堂で使っていたものと聞かされ、歴史がとても身近に感じられた瞬間でした。
シンポジウムのプログラムとプログラムの合間の、たった2時間ほどの滞在、後ろ髪を引かれながらのおいとまでした。

ハイライト2):4/30 ワイルダーランチでカウボーイになりました。
シンポジウムという大イベントが前日に終了し、訪米初日以来の美しい青空に恵まれたせいもあり、みな緊張もとけ、なんとなく晴れやかな笑顔。この日訪れたワイルダーランチでは、1900年西部のカウボーイの時代へタイムスリップ。入り口で、昨年9月に館山を訪れたチャーリー&パット・キーファーご夫妻が、その当時の衣装に身を包んで迎えてくれました。e0093807_1126545.jpg私たち一行も独り残らずこの時代の帽子をおかりし、西部開拓気分も盛り上がります。さらにバンダナまでプレゼントしていただき、首にまいてみるとなんだか本当のカウボーイみたいにみえてきた人たちも、、、。青空のもと、木々の緑とカリフォルニアポピーのオレンジが鮮やかに映えます。お昼は牧場内で昔ながらの製法のメキシカンタコス。自分たちで平たくつぶし、鉄板にのせて焼きます。中にくるむのはサボテンの肉入りのソース。美味です。そよ風のふく戸外で、目にまぶしいほどの緑に囲まれていただきますから、ますます美味です。でももっと美味だったのは、チャーリーの奥さんパット手作りの6種類のデザート!がんばって全種類味見した人もいたようです。
食後は牧場内の簡単なツアー。すべて水力を動力とした牧場内の設計の見事さにみんな感服。最後にはチャーリーの投げ縄術を伝授してもらいました。西部開拓時代を大満喫した一日でした。(つづく)
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モントレー日米シンポジウム その③

ゴールデンステートシアターにて

4月29日土曜日夜7時、コンバーシェンス2006式典の会場となった80年の歴史を刻むゴールデンステートシアターには、およそ800人の市民が集まりました。
直前までもてなしをうけていた小谷さんのお家から駆けつけたに本からのツアーメンバー一同、あわてて指示されたとおりに会場に入場すると、聴衆から大きくあたたかな歓迎の拍手が。舞台には司会を務めるサンディさんがタキシード姿で私たちを迎えます。
開催にあたり、カリフォルニアからは、州知事アーノルド・シュワルツネッガーほか18名から、また日本からは、堂本暁子千葉県知事、館山市の辻田実館山市長からも、祝辞が寄せられました。
続いて、「100年にわたる協力関係」と題して、ライドン教授が、南房総とモントレー湾地域の人々の交流を紹介しました。そして、今回の交流のシンボル「モントレー潜水アワビ漁万祝」が、照明に浮かび上がり紹介されると、満場の拍手が。この寄贈の仲人役となった鈴木政和さんらが壇上に招かれ、万祝の寄贈者である栗原氏からのメッセージを伝えました。

和太鼓の勇壮なパフォーマンスのあと、第二部として地元のカブリオ少年少女合唱団60名が登場しました。カブリオ大学の音楽教授が、この日のために指揮をとってきた合唱曲の数々、「さくら」「赤い靴」など6曲が、きれいな日本語で披露されました。

「青い目の人形」の歌に先立ち、約100年前、おじいさんがモントレーに渡ったアワビダイバーだった岩田美代江さんが、手作りの市松人形を抱えて舞台に登場、モントレー博物館に寄贈しました。
そして、「青い目の人形」の語り部、館山市の松苗禮子さんが、ホームステイ先のセイコ・ジャブリさんの通訳で、戦前、平和を願って贈られた青い目の人形使節の逸話を語りました。胸を打つ語りに、日本人も、アメリカ人も、会場一体となって聞き入りました。

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フィナーレには、会場が一体となって「青い目の人形」を日本語で合唱して、「コンバージェンス2006:アワビコネクション」の幕が閉じました。

終わりに
「当時としては極めて稀なことだが、A.M.アレン、小谷源之助、アワビステーキを普及させたポップ・アーネストは、国籍や言葉の壁を超えて、信頼と友情を育て、パートナーシップを築いた」と、ライドン教授、博物館歴史家トーマス氏は語ります。
今回は、のべ1800名以上の方が、4月28・29日にわたり、モントレー湾地域の三ヶ所の会場で、「コンバージェンス2006:アワビコネクション」に参加しました。モントレー地域のみなさん、そして今回ツアーに参加したメンバーも、そうではなかった皆さんも、関心をよせる私たち全てが関わり、こころからの平和な交流を願う事で、モントレー南房総コネクションは、過去をたどる旅であると同時に、未来をも築いていくことになるのでしょう。(完)
次回からは、シンポジウム後のツアーの模様を報告します。

モントレー日米シンポジウム その②

アワビシンポジウム モントレー海洋博物館にて開催 4月29日

翌日4月29日には、南房総地域とモントレー湾地域とをむすぶ109年にわたる歴史的な結びつきを祝おうと、さまざまな催しが行われました。モントレー海洋博物館の劇場では、日米両国からの研究者などによる研究発表が行われ、また、館前の広場ではアワビ・フェスティバルと銘打ち、「アワビレース」や、アワビの貝殻で作る工芸品展示会、アワビの詩コンテスト、アワビの貝殻コンテストなどが繰り広げられ、多くの人の目を楽しませました。あいにく曇天の肌寒い陽気だったので、これでお天気がよかったらさぞかし大にぎわいだっただろうと思います。でもこんなお天気がモントレーでは普通という事ですからしかたありません。
そして夜7時からは、会場を市内最大のゴールデンステートシアターに移して、フィナーレを飾るイベントが行われました。

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あわびレースの応援に熱が入る観客

のべ800名が訪れた博物館でのシンポジウム  
唯一の日系二世アワビダイバーであるロイ・ハットリ氏(87)が、戦前の潜水漁について貴重な体験談を披露したのを皮切りに、モントレーの先住民族の血をひく歴史学者リンダ・ヤマネ氏による「アワビとインディアンとの関わり」、事業家トム・エバート氏による「養殖アワビの科学」、ライドン教授による「中国人・日本人漁師とモントレーのアワビ漁」、トーマス氏による「アワビの食文化を定着させたポップ・アーネストと日本人漁師達との関わり」について、次々と発表が行われました。
なかでも、館山市の太田義夫さんによる小谷源之助の調査発表では、千倉町長性寺で行われたアレンの妻と、アレンの追悼法要の写真が紹介されました。

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源之助の事業パートナーであったアレンが、いかに大切な存在であったかがしのばれる、貴重なエピソードでした。

続いて、伝統の海女装束に身を包んだ吉田恵美子さんと宮本玲子さんが、人類学者ベサニー・グレナルド氏と共に登場し、ライドン教授の進行で、ポイントロボスでの素潜り漁実演の感想や、房州の海女漁について紹介をしました。
朝刊にトップニュースとして二人の写真が掲載されたこともあり、会場は立ち見客も出るほど。二人のユーモアあふれる率直なコメントや、身振り手振りに、聴衆は大いに沸き、通訳さえいらないことも。閉会後も、尊敬のまなざしで話しかけてくる人、サインを求める人が相次ぎ、房州の「アマダイバー」は一躍有名となりました!アワビ漁の話題には、言葉や国籍の違いなどなかったようです。
この日、モントレー海洋博物館の入場者は、800名を記録し、講演は常時150名が席を埋め尽くす盛況振り。モントレー国際大学院の協力により、我々訪問団のために同時通訳も用意されました。

モントレーの博物館に常設展が新設
今回のシンポジウムをきっかけに、モントレー海洋博物館に日本人と現地アメリカ人の協力によるあわび漁業に関する資料が常設展示されることになり、この日から公開されました。中央に飾られるのは、今回のイベントのシンボル、千倉町千田の栗原家から寄贈された万祝。足下には同家に残る当時のあわびダイバー、栗原石松氏の肖像写真。背後の壁には小谷源之助とアレンが共同経営していた缶詰工場のラベルが大きく描かれています。天井からは、白浜町の海女宮本玲子さん、千倉町の鈴木政和さんらの呼びかけで寄せられた素潜り漁の衣装を着たマネキンが、道具とともに展示されています。さらには、南房総の風景を紹介するため、訪問団の一員、鋸南町の溝口七生画伯の油絵も7点展示されました。国や文化の多様性を尊重する精神に基づき、日米融合の展示内容が生まれました。今後南房総一帯とモントレー湾地域のアワビが結ぶ交流を来館者に伝えていくことでしょう。(つづく) 

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モントレー日米シンポジウムレポート その①

房州の海女漁とアワビダイバー子孫交流会、小谷家ゆかりの地ポイントロボスで 4月28日

200名が見た、房州海女漁の実演
シンポジウム当日の4月29日、房総の海女たちの報道写真がモントレー地元紙の一面トップを飾った。「過去からの爆風:歴史マニア、最盛期のアワビ漁を再現」の大見出しがサンタクルーズ・センティネル紙、「日本の潜り姫たち」の大見出しが、モントレー・カウンティ・ヘラルド紙に踊る。
白浜から現地入りした海女業に従事する姉妹、吉田恵美子さん(72)、宮本玲子さん(67)が、浮き樽(タル)と採集網(タマリ)、道具(カツカネ)を手に、109年前に南房総の男あまがアワビ漁をしたポイントロボスの海に潜った。その快挙を伝える報道だ。
素潜り漁の実演は、4月28日午前11時に行われた。現在、ポイントロボスは、州立保護区として一切の漁が禁止されているが、歴史学者サンディ・ライドン教授らの働きかけでカリフォルニア州公園課の特別な配慮が得られた。空は、モントレー特有の霧で覆われ、入江を取り巻く断崖には、巨大なサイプレス(糸杉)とモントレー・パイン(松)の木々が根を張り、自然の厳しさと美しさを伝える有名な景勝地だ。海流の影響か、やや肌寒い。
公園課から派遣された水中カメラマンほか男性2名と12歳の少女、人類学者ベサニー・グレナルドさんも、ダイビングスーツに身を包み、海女たちと共に冷たい海に潜った。グレナルドさんは、約10年前に二人の元で海女を対象とした博士号研究調査をした旧知の間柄。ライドン教授のはからいで、東海岸から特別に招かれ、10年ぶりの感動の再会となった。
海上にはボートに乗った救命隊員、浜には救急車が待機して、万が一の場合に備えるものものしさだ。
報道陣、公園課のレンジャーや博物館関係者、日本からの訪問団一行、現地アワビダイバー関係者子孫など、一般に非公開としたが、総勢およそ200名が見守るなかでの実演が始まった。水温摂氏約12度の海に身を沈めるや、「おー、はっけー(冷たい)」と、生きのいい房州弁があたりに響きわたった。109年前もこんな第一声が発せられたであろう。
暖かな黒潮の漁場と異なり、カリフォルニア海流は寒流。野生のアザラシやラッコが生息する。潜水ポイントは、小さな入江だが海流が強いらしく、水面に渦が巻いている。
獲物は、レッド・アバロニの殻を使った教材用の模造アワビ。ここが自然保護区のためである。何度か試し潜りをした後、二人が、次々に水深約6メートルの海底に置かれたアワビをつかんで、見事に海上に姿を見せると、いっせいに喝采が沸き起こった。水中カメラが、その模様を追う。海女暦50年以上という二人の実演の様子は、貴重な資料映像として、カリフォルニア州に残されることになる。

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日米の子孫たちによる交流会
現在の南房総市白浜出身の小谷源之助は、1897年に渡米し、続いて弟小谷仲治郎も男あま3名を伴ってモントレーで潜水アワビ漁を始めた。あまりの水温の低さに素潜り漁を断念し、翌年潜水夫3名を派遣し、ヘルメット式潜水器を使った潜水アワビ漁に切り替えたことで成功。アメリカ人地主A.M.アレンとのパートナーシップにより、飛躍的にアワビ事業は発展を遂げた。約30余年にわたり隆盛を極めたが、戦争を機に、その歴史は途絶えていた。
そのゆかりの地で、往時をほうふつとさせる素潜り漁実演の後は、多くの子孫たちと共に、約90名もの関係者の集う昼餐会となった。
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昨年館山を訪れたモントレー地域の住民らが、ボランティアとして、会場設営や接待に立ち働き、テント、テーブルや椅子、花などを豪華な料理と共に運び込んでの屋外昼食会となった。一堂は、景勝地ポイントロボスの自然が織り成す豊かな景観を愛でながら、小谷ファミリーやそれを取り巻く人々をしのんだ。
訪問団には、小谷家やアワビダイバーの子孫のほか、アワビダイバーの歴史を調査している千倉町の鈴木政和さんもおり、南房総から持参した古い家族写真を示しながら、熱心に情報交換が行われた。鈴木さんは、約100年前のモントレー潜水アワビ漁万祝を、千倉町の栗原家からモントレー海洋博物館へ寄贈する仲人役でもある。
ライドン教授の司会により、小谷家やアレン家の子孫たち、アワビステーキを生み出したポップ・アーネストの子孫たち、現地の学者たち、日本に暮らすアワビダイバーの子孫たち、県立安房博物館の御園生光江館長、そして現地ボランティアスタッフらが紹介されると、一同から温かな拍手が沸き起こった。
アワビダイバーとそれを取り巻く人々との国籍を超えた信頼と友情、パートナーシップを、およそ100年のときを経て、今に蘇らせた感動のひと時であった。翌日は、いよいよシンポジウム当日である。(つづく)